おうち英語.com 管理人の みやび です。
今回はタレントの松嶋尚美さんが、ブログで「英語と日本語」について書かれた記事が、そのコメント欄で少し論争になっているみたいです。
私ごときがなんですが、幼少期の「英語と日本語」について、気になったので、今回はそのことについて、書いてみたいと思います。
最初に、タレントの松嶋尚美さんの、4歳の息子さんは、現在、インターナショナルプリスクールに入学されているそうです。
✳︎インターナショナルプリスクールとは、全て英語で幼児保育を行う幼稚園です。
その4歳の息子さんは、現在は、松嶋尚美さんの代わりに英語を会話するほど、英会話が堪能だそうです。
そんな中、最近、松嶋尚美さんがブログのなかで、『英語と日本語』という記事を書かれて、
『日本語の大事さは分かるけど、子どもはまだ4歳だから、ひらがなよりも、日本語よりも、英語が大事』(私の要約です…すみません…)
とブログに松嶋尚美さんが書かれたことで、そのブログのコメント欄で、「幼少期には、英語が先か?日本語が先か?」論争が起きているようです。
それが、私ごときですみませんが、その論争が、勝手に気になったので…
今回は、「百ます計算」で有名な陰山英男さんが提唱する、「百ます計算」の生みの親で、
陰山英男さん以前に、小学館の通信添削「ドラゼミ」の総監修者をされ、42年間小学校の先生をされていた、岸本裕史さんの著書、
(この岸本裕史さんは、『見える学力、見えない学力』という概念を提唱されて、小学校の先生方から大きな支持を受けた先生だそうです。)
この岸本裕史さんのご本、『どの子も伸びる国語力』から、
岸本さんは、乳幼児期の日本語の重要性をどう捉えているのか?
子どもが、日本語の読む力、書く力がないまま小学生になると、子どもはどうなってしまうのか?
等々、それらのことについて、今回は書いてみたいと思います。
Contents
『見える学力、見えない学力』幼少期の先、小学校で、上記の両方の学力を伸ばすために必要なのはどんなこと?
『見える学力、見えない学力』という概念を提唱された岸本裕史さんが、幼少期に「日本語の読み書き」が不足すると、小学生以降に、子どもにどんなことが起こるのか?ということについて、以下のように書かれています。
『どの子も伸びる国語力』著者:岸本裕史(小学館)より

まえがきより、抜粋…
今の日本では、教育ママという言葉がやや冷やかし的に使われていますが、教育ママであることと、子どもを過酷な受験勉強に駆り立てる、いささか歪みのある母親であることとは、決して同義ではありません。
むしろ、子どもにしっかりした(日本語の)読み書き計算の能力をつけさせることは、江戸時代からずっと、どの親にも当然の務めであり、やさしさでもあったのです。
今、低学力の子のほとんどは、(日本語を)読む力も書く力も計算する力も、ひどくお粗末です。しかし、彼らは知覚能力が普通の子に比べて劣っているわけではありません。
小さい頃からテレビ漬け、ゲームぼけのだらだらした生活に浸り、学力獲得の前提条件である読み書き計算の力をしっかりつけることを怠っていたため、いわゆる落ちこぼれっ子になっているのです。
そして、自分は頭が悪いのだ、いくら勉強してもダメなのだと、《思い込んで》いるのです。
このような子に育ててしまうことほど、子どもに対して無慈悲で、冷酷な仕打ちはありません。
教育ママはイヤだ、だからわが子には勉強のことは厳しく言わず、のびのび育てるのだと言って、放ったらかしているのは、まさに、子どもの発達の可能性を潰してしまうことでもあります。
(日本語の)読み書き計算の力は一朝一夕で身につくものではありません。
理解から習得へ、習得から習熟へ、さらに熟達から駆使の段階まで達することは、生易しいことではありません。
何のおもしろみもなさそうな反復的・再生的な練習を継続していくには、不断の努力を要します。
子どもたちには、ある程度の我慢と粘り強さが求められます。
だからこそ、親が温かな手を差しのべなければならないのです。
江戸時代の寺子屋では、子どもたちは素読をしていました。
(日本語を)読む練習です。
小さい頃から正しい姿勢で、本をきちんと読むことを徹底的に指導されました。
そのように鍛えられた子は、年を重ねるにつれ、2時間や3時間の勉強を辛いと思わず、耐えられる子に育っていきました。
こうした集中力や忍耐力をわが子につけていくことも、親としての大事な役目です。
子どもがのびのびと生きていくためにこそ、幼児からのしつけは重視しなければなりません。
家庭での学習は毎日続ける、(日本語の)読み書き計算の力は確実に身につける、そして読書の習慣をつける、このような家庭環境や地域に育った子は、必ずや精神も肉体も健全な、快活な子に育ちます。
人生を主体的に生きるための力を持った子になっていくのです。
……………………………
(日本語の)読み書きを軸とした「国語力」を伸ばすということは、子どもが自ら新しい知識や能力を獲得していく「自己教育力」を伸ばすということでもあります。
言い換えれば、「生きる力」の基礎を構築するとでもいえましょうか。
子どもが自らの運命を切り拓く力をつけていくということです。
そして、岸本さんは、乳幼児期の日本語の大切さを、次のように述べられています。
子どもの言語能力の発達の源泉は乳幼児期にある
同じく、『どの子も伸びる国語力』著者:岸本裕史(小学館)より抜粋…
✳︎以下の内容は「日本語」が前提になっています。
私は、子どもの言語能力の発達の源泉は、0歳児から培われていくのではないかと考えています。
たとえ意味は伝わらなくても、親からの愛情に満ちたやさしい言葉をうんとかけられながら育った子は、おおむね、その後の言語能力の発達がいいようなのです。
もちろん、どのような言葉でも、ただ話しかければよいというものではありません。
むしろ、無意識に過ごしている乳児期にこそ、情緒豊かな、正しい言葉遣いを心がけなければなりません。
…………………………
乳児はある日突然、言葉を理解し、喋れるようになるわけではありません。
この世に生を受けたその日から、親の語りかけを目と耳を通じて認知し、頭に刻みつけていくのです。
ですから、乳児期に親が語りかける言葉の質は、その後の言語能力の発達を規定すると言っても過言ではありません。
家庭における言語環境の質は、それだけ重要なのです。
小学校に入る頃になると、言語能力の発達は、親や他の人からの話しかけだけではなく、読書量によって大きく左右されるようになります。
……………………………
それまでに親の語りかけや先行体験によって言語能力の土台をしっかり築いてきた子は、読書との出会いによって、想像力や論理的思考力、文章を読み取る力、語彙の数などを等比級数的に伸ばしていきます。
そして、このように恵まれた言語環境のなかで育った子は、必ずや、高い学力を獲得していくのです。
《話し言葉》とは異なる《書き言葉》!ほとんどの学習は、日本語の《書き言葉》が学力に直結する
同じく、『どの子も伸びる国語力』著者:岸本裕史(小学館)より抜粋…
✳︎以下の内容も「日本語」が前提になっています。
おしゃべりは達者なのに、テストをしてみると点数はさっぱり、という子がよくいます。
親や先生がびっくりするような素晴らしい意見や、独創的なアイデアを述べるのですが、成績は一向に上がらないのです。
このような子は、話し言葉レベルでの言語能力はしっかりしているのですが、《書き言葉》に習熟していないために、学力に結びついていないと考えられます。
学習というものは、そのほとんどが《書き言葉》の世界です。
教科書に書かれていることを理解するにも、算数の文章題を解くにも、まずはその文章を正しく読み取る力が必要です。
子どもを低学力児にしないためには、まず前提条件としての「読む力」をしっかり身につけさせなければなりません。
(日本語の)書き言葉を「読める」ようになったからといって、それがそのまま学力の向上に結びつくかといえば、実はそうではありません。
読む力はあくまで学力を獲得するうえでの前提条件であって、その学力をしっかり定着させるには、計算力も含めた「書く力」の育成が不可欠です。
…………………………
(読んで)知った、わかったというだけでは学力とは言えません。
その知識を自在に使いこなすことができてこそ、初めて学力がついたと言えるのです。
子どもが学校でいくら先生の話をよく聞いても、またどんなにたくさんの本を読んで新しい言葉を知ったとしても、それをノートに書き取ったり、反復的に書く練習をしない限り、教わったこともうろ覚えになり、確かな知識として定着しません。
知識を定着させるには、必ず、書くという作業を経なければならないのです。
ところが、多くの子どもは書くことをとても嫌がります。
普段から学校や家庭で書くことに慣れている子どもでない限り、子どもにとって書くことは、精神的にも肉体的にも苦痛を伴う作業となります。
ですが、それを避けてはいけません。苦しい作業だからこそ力もつくのです。
漢字の書き取りや日記など、書く練習は毎日、根気強くやっていくことです。
書く力をつけるための特効薬は、これ以外にありません。
……………………………
読む力、それは新たな学力を獲得していくための前提条件であり、その意味で「学力の上限を規定するもの」と言うことができます。
また書く力は、獲得した学力を定着させる主要な手段であり、「学力の下限を規定するもの」と言えます。
読む力と書く力、この両輪がしっかりと育ち、かみ合ってこそ、子どもの学力は伸びていくのです。
…ここまでで、日本語の読み書きが、子どもにとって、非常に大事だということが分かりました。
そして、ここからが問題の、幼児期から、ひらがなやカタカナを習得する必要があるか?という点については、
同じく岸本裕史さんの著書『続、見える学力、見えない学力 〜読み書き計算は学力の基礎〜』から
減らされる国語の授業時間
一世代前の1970年までは、小学一年の子どもたちは、ひらがなの読み書きを4月から10月まで半年かけてゆっくりていねいに教わりました。
平均して日に1字づつ習っていました。カタカナは、小学2年から教わりました。漢字は46文字だけでした。
それが、1970年代から個性尊重の教育ということで、漢字は80字に増やされました。
ひらがなは4月下旬から6月中旬までの間に、全部、読み書きとも覚えなければならなくなりました。
不十分なカタカナ学習
カタカナも小学1年生の9月から教わります。
でもパラリパラリと教科書にときどき載っているカタカナを、ちょっと書く程度で終わっています。
…………………………………
カタカナを正しい字形で書けないと漢字も正しく書けない
カタカナが正しい字形で書けないということは、当然、漢字も正しく書けないということになります。
『どの子も伸びる国語力』著者:岸本裕史(小学館)より抜粋
カタカナは漢字習得への大事なステップ
カタカナが正しく書けないということは、漢字が正しく書けないということに直結します。
漢字は、斜めに書く箇所を除くと、ほぼ直線だけで構成されています。
「外」という字なら「タ」と「ト」の合成として覚えられますし、「話」なら「テン一ニロチロ」、「名古屋」なら「タロウ十ロウコノ一ムツチ」というふうに暗記することもできます。
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カタカナを完全に習得していれば、漢字も覚えやすく、筆順を間違えることも少なくなります。
そして漢字は全ての学力の土台となる、言語能力を身につける上で決定的な力を秘めている
『どの子も伸びる国語力』著者:岸本裕史(小学館)より抜粋
たくさんの漢字を正確に覚えることは、けっして《つめこみ教育》ではありません。
むしろ、子どもたちの知的好奇心を伸ばし、やがて自ら進んで本や教科書から知識を吸収していくようになる準備的学習なのです。
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すべての学力の土台となる言語能力を身につけるうえで、漢字学習は決定的な力を秘めています。
「漢字なんて、面倒で厄介な学習だ」と軽視していると、中学生になってからの学力の伸びは、まったく期待することができないまでに転落していきます。
…………………………
漢字の学習は、小学生の時から、ほぼ毎日の読み書きの復習と、読書を通じて積み重ねていかなければなりません。
…………………………
漢字の練習は、小学生のもっとも重要な日常学習です。
食事と同じく、毎日毎晩練習を重ねていくことで、学力全体の伸びが保証されます。漢字学習を手抜きすれば、学力の伸びは絶望的となります。
まとめ
(上記を読んでの感想)
……漢字、大事だな。
……漢字の基礎になる、カタカナとひらがな、大事だな。
……そして、日本語、大事だな。
……英語子育て☆ばかりじゃなくて、日本語!とても、大事だな。
長文を、お読み頂き、ありがとうございました!
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